「ファンティーヌの逮捕」の個人的見解(いちゃもん)
・原作の場合
原作での喧嘩は、「バマタボアに因縁つけられて、無視してたら背中に雪まで入れられて、それでカッとなったファンティーヌが掴みかかっていったら、騒ぎになってから駆けつけた警部殿がファンティーヌだけ捕まえた(バマタボアはその隙に逃げた)」という流れ。
ファンティーヌ自身もその経緯を警部殿に訴えた上で、「病気の子供もいるんです、どうかお許しを」と慈悲を乞う。聞いてはもらえない。
ここまでは、ファンティーヌの話に取り合ってくれない警部殿にも非はある。「立派な市民」であるバマタボアに肩入れしすぎてる。
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割り込んできたマドレーヌ市長(バルジャン)の主張は「男の方が悪かったそうだ」。市長殿本人も騒ぎを実際に見たわけではなく、目撃者を連れてきてもいない。でも「話ではこうらしいから放免しなさい」と言う。
この場面の元になったユゴー先生の実体験(『私の見聞録』にも収録されている)では、ユゴー先生は事態の目撃者本人だったので、市長バルジャンとは微妙に立場が異なる。それもあって警察もユゴー先生の話を聞いてくれたのでは?
いくら偉い人の言葉でも、又聞きを素直に受け入れる方がよほどダメでは? 実際に見てた人たちからも直接話を聞いて総合的に判断してからでないと、無罪放免にはできなくない?
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意地になってた面もあるだろうが、警部殿も全然聞き入れない。目の前で起きた「市長へのファンティーヌの侮辱行為(唾吐きかけ)」に言及するも、「それは私だけの問題だ」と一蹴される(それはまあそう)。
最終的には「私は判事として君に命令できる立場だ」と言い出した市長に(警察署にいたのに)追っ払われる警部殿。可哀想。
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結論:「悪いのは市民ではなく売春婦の方に決まっている」と思い込みがあったり意地になったりと警部殿にも非はあるが、手持ちの情報だけでは素直に放免もできないと思う。警部殿もそんなには悪くない。市長様は目撃者も連れてきてください。
・舞台の場合
ファンティーヌの「病気の小さな子があるのです」という「泣き言」を「本当じゃないのか、その人の話は(→『気の毒な人だから放免してあげなさい』?)」と割り込んでくるのがマドレーヌ市長(バルジャン)。
バマタボアの方が悪いとかいう話は誰からも一言も出ていない。この流れで「はい、わかりました」と放免してしまったら警察側がダメだと思う。
この流れではむしろ警部殿がお気の毒では? 素直に市長に従ったら従ったで警察内の上の人から怒られそうでは?
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結論:こっちなら尚更警部殿は悪くないと思う。むしろ市長様が感情論すぎる。理論武装してきてください。
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