1巻のバルジャン
・「パン一つ」の罪
バルジャンは盗みを犯して徒刑場に送られる前には、家族(姉一家)の困窮を救うためにか「密猟もいくらかやって」いました。 ミュージカル歌詞で妹になっているのは、音を合わせる都合かなと思います。
当時のフランス社会では密猟者は「密輸入者と同じことで、強盗にごく近い者」(1巻2章6節)とされ嫌われていました。パン一つ盗んだ罪で五年の刑になったのではなく、この密猟も加味されてのものです。
盗み自体も、警部殿が「盗人、強盗」と非難している通り、パン屋の窓硝子を叩き割って手を突っ込んで盗み出しており、「住宅に侵入して盗みを働いた」という罪状です。単に盗んだと言うだけではなく、家屋を毀損しています。これも刑罰を重くしたのだと思います。
バルジャンの狙撃の腕前はかなりの実力(1巻2章6節)で、市長だった時にも腕前を人に知られる機会があったようで、警部殿も市長(=バルジャン)と24601号の共通点として言及しています(1巻6章2節)。
・「泉で渇きを癒し」(1-2-1)
とてもとても細かいことですが、原作にも泉の水で喉を潤している描写があります。司教様と出会うディーニュに着いた場面です。
「よほど喉が渇いていたのか」一つ目の泉で飲んでから二百歩ほどのところにある別の泉でもまた飲んでいます。
・読み書き計算の教養
監獄に入る前のバルジャンは「無知だが愚かではない男」でした。読み書き計算を覚えたのは、監獄内で修道会が開いている囚人のための学校です(1-2-7)。
釈放(原作では仮出獄ではないので)される時、監獄での仕事で稼いだ賃金を渡されましたが、自分で計算したよりも少ない額でした。日曜・祭日の休みを考えなかったというバルジャンの考え違いと、種々の天引きされて減った分でしたが、バルジャンは「盗まれた」と感じ、更に社会への憎悪を募らせます(1-2-9)。
話は飛んでモントルイユで市長になってからは、よく本を読むようになります。そのためもあってか、年を経るごとに話し方は丁寧に品よく優しくなっていきます(1-5-3)。
・なぜ前科を隠して市長にまでなれたのか(1-5-1)
バルジャンが街についた晩、モントルイユの市役所では大火事が起きていました。彼はその大火から、身の危険を顧みずに憲兵隊長の子供二人を救い出します。
原作には詳しく書かれていませんが、おそらくみんなが大喜びして浮かれていたり、取り調べるはずの憲兵隊長自身が感謝しきりだったのだと思います。原作では「旅券を調べられずに済んだ」とだけ書かれています。
かくして町に受け入れられたバルジャンは、「マドレーヌ」と名乗りモントルイユに住み始めます。
・工場経営
バルジャン(マドレーヌ市長)の工場の事業は2012映画でも再現されていますが、黒ガラス装身具の生産です。モントルイユの町にもともとあった産業ですが、そこに彼が画期的な改良を加えたことで、労働者が貰える賃金を高くして地域を潤し、品質も上がったので買い手にも利益があり、勿論考案者のマドレーヌさん自身も安く作って従来の値段で売れるのでお金が入りました。かくして彼は自分もお金持ちになり、街をも豊かにしました(1-5-1)。
そればかりではなくマドレーヌ氏は、市長になる前から私費で町の福祉にも大きく貢献します。具体的には、設備の悪い病院のためにベットを寄付し、下町にはあばら屋一つしかなかった学校を女子と男子のために一つずつ建て、教員にポケットマネーで手当てを支給し、当時のフランスではほぼ知られていなかった保育園を自費で作り、老年や病気の労働者のための救済基金を設け、無料の薬局も設けています(1-5-2)。
彼がお金持ちになっていくと、町の社交界から招待が舞い込むようになります。しかし、マドレーヌ氏はそれらを軒並み断りました(1-5-2)。
・工場の組織構造
一つだけ「ミュージカルでは変えてある点」を書かせていただきますと、原作でのマドレーヌ氏の工場は、彼の建てた学校と同様に男女が完全に分かれています。なので女子工場の現場責任者も女性です。
これは 「娘や人妻が貞淑でいられるように」という配慮だったのですが、女性監督はそれを拡大解釈してしまいます。それゆえ、ファンティーヌに子供がいるのを知った監督は、独断で彼女を解雇してしまいます。
私が好きな作品なので何度も引き合いに出しますが、リノ・ヴァンチュラさん主演ドラマでも、産業・福祉・男女別工場の話はさりげなく織り込まれています。
・市長任命
1819年、マドレーヌ氏は地方を豊かにした功績で勲章及び市長の任命を与えられますが、どちらも辞退します。1820年に再度市長に任命され、この時には街の人々からも頼まれ懇願されたので、引き受けることになりました(1-5-2)。
1821年には、司教様の訃報を新聞で読んで喪服を纏います。このことが「きっと市長は亡くなった司教の身内なのだ」と町の人々に思われ、マドレーヌ市長の評判を高めました。面と向かってそれを問われた彼は、若い頃に司教様の家で奉公していたと説明しています(1-5-4)。
・馬車事件
原作と舞台で警部殿との関係性がかなり違うのですが、詳細は割愛します。機会があればいずれ書きます。
原作では市長になる前の話で、この事件の後すぐにマドレーヌ氏が市長になります(1-5-7)。
馬車の下敷きになるのは、その時には荷馬車屋をしているフォーシュルヴァンさんというおじいさんです。どれか日本のCDだとお名前が出てきますね。
この人はマドレーヌ氏の「ごく少ない敵の一人」で、嫉妬して邪魔をしていました。マドレーヌ氏の成功を見ながら、自分は商売がうまくいかず落ちぶれていき、遂には破産して荷馬車屋となります。
もう一つミュージカルでは変えてある細かい点ですが、原作では馬車は暴走してきたのではなくて、フォーシュルヴァンさんの乗っていた荷馬車の馬が倒れたので下敷きになっています(ここまで1-5-6)。
マドレーヌ氏は壊れた荷馬車と死んだ馬を千フランで買い取ることで、フォーシュルヴァンさんに資金援助します。また、膝の関節を悪くしてしまった彼をパリの女子修道院の庭番に推薦しました(1-5-7)。このくだりは2巻での話に繋がる伏線になっており、2012年映画やリノ・ヴァンチュラさん主演ドラマ、新井隆広先生のコミカライズでも描かれています。
・白髪(1-8-1)
ミュージカルでも裁判で名乗り出るに際して「裁き(Who am I?)」で迷い苦しむバルジャンですが、原作でもその懊悩にかなりページ数が割かれています。到着までに馬車が壊れたり傍聴席が満席だったりとあれやこれやのすったもんだもあり、そのたびに「これは行かなくていいという神の御心だ!」と喜んだりなんだりします。結局はちゃんと名乗り出ます。
その1日がよほど恐ろしかったのか、ファンティーヌのいる病院に帰ってきてみると髪が真っ白になっています。看護をする修道女に言われて気づいたバルジャンは、ただ「ほう!」とだけ言いました。
0コメント