原著での「医者」の語彙
◯まとめ
・職業としての「医者」はmédecinか、外科医chirurgienのような専門分野での職名。
・呼びかけは(Monsieur le) docteur(=1803〜1892年の医療制度での医学博士docteur?)
・医師への呼びかけでのMonsieurを「先生」と訳している箇所もあった。
◯調べたきっかけ
・小倉孝誠『19世紀フランス夢と創造 挿絵入新聞「イリュストラシオン」にたどる』(人文書院、1995年)を読んでいて、「1803〜1892年の医療制度には医学博士docteurと免許医officier de santéがあった」と知ったので、原著の医師に関する語彙を確かめたくなった。
*ヴァルジャンの釈放が1815年、彼が亡くなるのは1833年。
・会話レベルではmédecinのことが多いようだとは読んでるうちに分かってきたが、一応ひととおり確かめた。
(以下読書メモ)
1803年の法律で導入された「医学博士docteur」と「免許医officier de santé」。1892年までの制度
医学博士は特定の医学校で勉強した後、5試験と論文の口頭審査があり、合格すれば国内どこでも開業できる。
免許医は医学校に3年間通うことで資格を取るか、6年間医学博士のもとで研修するか、5年間病院で実習を行った後、3つの試験に合格すれば資格を取れるが、試験を受けた県でしか開業できず、大掛かりな外科手術を行う先には医学博士の立ち会いが必要。
医学博士は医師のエリート層。病院や大都市。大きな社会的威信。
免許医は主に農村部で開業し、少ない診療報酬に甘んじながら、つつましい生活を強いられた。
←マリウスの帰宅とヴァルジャン臨終の場面、どちらでも医者は「médecin」。
←[médecinが「お医者さん」、docteurは学業のレベルに相当。法律場面でのdocteurは弁護士、文学分野のdocteurは教授、といった具合](「表参道フランス語 Médecin et Docteur」http://omotesando-ecole-sympa.blogspot.com/2014/03/medecin-et-docteur.htmlより)
◯手順
青空文庫で「医」を検索
↓
該当箇所の原著の語彙を確認
◯第一部
1-1-6
「ここにその微妙なる意味あり。医師の戸(la porte du médecin)は決して閉さるるべからず、牧師の戸は常に開かれてあらざるべからず。」
医学の哲理(Philpsophie de la science médicale)と題する他の一冊の書物に、彼[司教様]はも一つ文句を書いていた。「余もまた彼らのごとく医師(médecin)に非ざるか。余もまた余が患者を有す。第一に、彼らが病人と称する彼らの患者を余は有し、次に、余が不幸なる者と呼ぶ余の患者を有するなり。」
1-1-10
その陋屋の中で民約議会員Gに仕えていた牧者らしい若者が、医者(médecin)をさがしにきたそうである。
1-1-10
[民約議会員G]「私は少々医学の心得があります。(Je suis un peu médecin; )」
1-1-10、司教様に関する地の文
また医者(médecins)や牧師のよくする不作法ななれなれしい態度をとってみようという気もしたが、それは彼[司教様]には仕慣れないことだった。
1-3-1
デュビュイトランとレカミエとは、イエス・キリストの神性について、医学校(de l’École de médecine)の階段教室で互いに論争してなぐり合うほどだった。
1-5-13
[ファンティーヌ]「用心せよってお医者さん(le médecin)も言いました。」
1-6-1
一つは医者(médicamenté)の礼で他は薬剤師の礼で、
医者(Le médecin)はファンティーヌを診察して頭を振った。
*この医師について、地の文では常にmédecin
[ファンティーヌ]「お医者様(le médecin)は何と言われまして?」
1–7-2
しかし医者(le médecin)が彼[マドレーヌ氏]の耳に身をかがめて
1-7-5
彼[車大工のブールガイヤール親方]はやってきて車輪を調べたが、外科医(chirurgien)が折れた足を診る時のように顔をしかめた。
1-7-6・地の文では「(le) médecin」
[ファンティーヌ]「先生(Monsieur le docteur )」
1-7-11
[裁判長]「このうちに医者(médecin)はおりませんか。」
[検事]「もしこの中に医者(médecin)がおらるるならば」
1-8-1
病人が死んで呼吸が止まったのを確かめるために病舎の医者(médecin)が使っていたものである。
1-8-2・地の文では「(le) médecin」
[ファンティーヌ]「この先生(ce médecin)は何てわからずやでしょう」
[ファンティーヌ]「私を娘に会わしてくれないとは、あのお医者(ce médecin)は何という意地悪だろう!
◯第二部
2-8-1
[フォーシュルヴァン]「門番は役所へ行って、検死の医者(le médecin de morts)をよこすように頼むんです。」
2-8-4
[フォーシュルヴァン]「修道女が死にますと、役所の医者(le médecin de la municipalité)がきて、修道女が死んだと言うんです。」
[フォーシュルヴァン]「警察の医者(le médecin de la police)のほかは、だれも死人の室にはいることはできません。」
2-8-5
あたかも医者(médecin)に失敗して墓掘り人となった形だった。
◯第三部
3-1-2
そのうちに医者(médecin)がいるとする。するとひとりの浮浪少年は叫ぶ、「おや、医者(médecin)の野郎、自分の仕事の取り入れをするなんて、いつから初めやがったんだ。」
・関係ないメモ
この節で紳士が浮浪児に言う「俺の妻の腰(《la taille》)に手を掛けたな」は《》で括ってあるが、何でわざわざ括ってあるのか分からない。
3-1-7
「父あん、お前のお上さんは病気で死んだじゃないか。なぜお前は医者(médecin)を呼びにやらなかったんだ?」
3-3-4
他のふたりは医者(médecin)と牧師とで、牧師は祈祷をしていた。
3-4-1
ジョリーは医学生だった(étudiait la médecine)。
医学から得たところのものは、医者(médecin)となることよりむしろ病人となることだった。
3-5-6
法律学校と医学校との学生(écoles de droit et de médecine devaient)が、正午にパンテオンの広場に集まることになっている、評議するために。
3-8-9
[ファバントゥー(テナルディエ)]「と申して、医者(médecin)も薬も、どうして払いましょう、一文もありません。」
◯第四部
4-1-3
[ルイ・フィリップは]左官や庭師や医者(médecin)などの心得も多少あった。
4-4-1
[ヴァルジャンは]医者(médecin)に診せようともしなかった。
[ヴァルジャン]「犬の医者(médecin)でも呼んでおいで、」
4-6-2
[ガヴローシュ]「唐辛の膏薬みたいなものを着て青眼鏡をかけてるところは、ちょっとお医者様(médecin)だ。」
4-7-1
病気は医者(médecin)を遠ざけるのいわれがあるだろうか。
中世の医者ら(médecins)が、人蔘や大根や蕪菁のことを
4–9-3
ある晩、医者(médecin)はごく高価な薬を命じた。
(メモ)「一言も言わないで」の原文はsans dire une parole。原作のヴァルジャンは仮出獄paroleではないが、ちょっと縁を感じた。
4-11-3
[理髪師]「病気になって、薬だの膏薬だの注射だの医者(médecin)だのといって、」
4-14-6
[エポニーヌ]「あたしほんとは、お医者(chirurgien:外科医)よりあなたの看護の方がいいの。」
4-15-4
[ガヴローシュ]「俺はね、女房がお産をしかけてるから医者(médecin)を呼びに行くところだよ。」
◯第五部
5-2-4
それは獣医としてアルトア伯爵の家に寄寓していた頃のことである(médecin des écuries)
:écuriesが「馬小屋」なので意訳した? 新潮文庫も獣医と訳している。
5-3-10
そしてバスクが医者(médecin)を迎えに行き
5-3-12
呼ばれた医者(médecin)は駆けつけてきた。
以下、地の文でもジルノルマン氏の呼びかけでもmédecin
5-5-2:数カ所あるが全てmédecin
5-5-3
[ジルノルマン氏]「それからまた医者(médecin)もどう言うかわからない。」
5-5-6
医者(médecin)に相談すると、二月には行なってもいいという明言が得られた。
5-9-2:地の文でも台詞でもmédecin
訳されていないが、[門番の女]「どうでございましょう?」「またあなたにきていただけますでしょうか。」内の呼びかけはともにdocteur。
5-9-5:地の文ではmédecin
[ヴァルジャン]「お目にかかって、またすぐお別れです、先生(~, docteur)」
[マリユス]「先生?……」はMonsieur。
[マリユス]「回復してきました、先生、回復してきました!」の呼びかけはdocteur。
◯語彙の辞書的な意味
(プチ・ロワイヤル仏和辞典第4版)
docteur:1.医師、医者;医学博士 2.博士
médecin:医者(への呼びかけ。肩書きとして用いるのはdocteur)
santé:1.健康、健康状態、体調 2,健康、健全さ、活力 3.保健衛生
◯参考書籍
Les misérables (Annotée) (French Edition)[ISBN 13: 9781549817472]
小倉孝誠『19世紀フランス夢と創造 挿絵入新聞「イリュストラシオン」にたどる』人文書院、1995年
豊島与志雄訳『レ・ミゼラブル』岩波書店、1987年(青空文庫)
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